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Re: 人になかなか会えない。

 投稿者:お太鼓・松  投稿日:2009年12月 1日(火)02時25分43秒
返信・引用
  > No.4890[元記事へ]

ばかは、
あい〜だ ゆうじ。
 

珍しいラップが釣れた!

 投稿者:@katsu  投稿日:2009年12月 1日(火)00時14分40秒
返信・引用
  茅ヶ崎漁港で黒鯛を狙っていたら、
こんなのがつれましたぜ!沢野兄貴。

http://park8.wakwak.com/~music/kats/

 

12月のライブから

 投稿者:トクさん  投稿日:2009年11月30日(月)17時36分3秒
返信・引用
  「12月はいろいろパーティーなどあって演奏する機会が多いので
は?」と聞かれることがある。数年前まではたしかにそうだった。
たとえば12月23日の祝日は毎年同じ会場でクリスマスパーティ
ーがあって、ありがたいことに、そこの常連出演バンドだった。

ほかにもクリスマスパーティーをやるから音楽で盛り上げてくれ、
歌いたい人がいるから生バンドで伴奏をしてくれ、子どもを呼んで
プレゼントをあげるからそれにふさわしい趣向を考えてくれ……な
どと依頼を受け、できるかぎり応えてきた。それを考えるのは楽し
かった。

それが、われわれの演奏がつまらないから呼んでもらえないという
のなら道理だと思うし反省しなければならないのだが、最近、イベ
ントそのものがなくなった、あるいは極端に少なくなったように思
う。

親しい居酒屋の主人も忘年会のたぐいが激減したという。あるにし
ても「3000円飲み放題」のような条件を幹事に示され答えに窮
してしまうとか。

12月は「はっぽん」月例ライブのほか、以下のイベントに出演。
お時間の許す方は足を運んでください。

------------------------------

アヌー・クリスマス 2009

12月23日(水・祝)
開場:17:30 開演:18:00
場所:福生「レ・トロワ・アヌー」(略称「アヌー」)
 東京都福生市本町127 電話042−553−6417

プログラム:
「おはなし」小俣雅子(フリーアナウンサー・東京学芸大学客員教授)
「歌と演奏」徳永喜昭 with アヌーの仲間たち

会費:4000円(1ドリンク付き)
※予約が必要です。お申し込みはアヌーまで。

小俣雅子さんのプロフィル
http://www.up-front-agency.co.jp/artist/omata/
同「ウィキペディア」の紹介記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BF%A3%E9%9B%85%E5%AD%90

アヌー
http://www.akiruno.com/repo/fshop/fshopanu.htm
同地図
http://www.hotpepper.jp/strJ000164282/

人気アナウンサーの小俣さんとのジョイントイベント、はじめての試み
ですでにして緊張で胸がドキドキしています。ジョイントとはいっても、
実際には、小俣さんの「おはなし」の部と、わたしと「アヌーの仲間た
ち」による歌と演奏の2部構成。演題はまだ聞いていませんが、楽しい
お話になることでしょう。最後に夢の共演で一緒にクリスマスソングを
歌うことになるかもしれません。

--------------------------------
 

Re: 人になかなか会えない。

 投稿者:トクさん  投稿日:2009年11月30日(月)17時20分27秒
返信・引用
  > No.4890[元記事へ]

アラン・ジャクソンの"Someday"に次の1節があったな。

'Cause sometimes someday just never comes

「じゃ、またいつか近いうちに」「こんどまた」「いず
れそのうち」という約束はなかなか実現しないもの。
プレスリーも言ってる。

It's Now Or Never!
 

人になかなか会えない。

 投稿者:沢野ひとし  投稿日:2009年11月30日(月)15時21分50秒
返信・引用
  歳をとると人になかなか会えない。

茅ヶ崎の石鯛こと、鈴木カツ氏にもしばらく会っていない。
国立の極端に友達の少ない早川肇さんにも夏から会っていない。
石川マキさんともご無沙汰だ。

だがドラムの松本章さんには毎月会う。
二次会の居酒屋でも会う。
「掲示板、どうしてとりけしたの?」というと
じっと耐えて泣いていた。

会いたい人に会うときは今しかない。

いつかいつかでは「写真の葬式の時になってしまう」

今週からじりじり会っていく。とりあえず国立の問題児からだ。
 

Re: Happy New Year

 投稿者:西田達也  投稿日:2009年11月30日(月)01時11分56秒
返信・引用
  > No.4880[元記事へ]

 早いもので、また年賀状の季節になりました。 A happy new yearについては,それで検索すると、Aが要らない、ということの説明がいっぱいでてきますので、まだ納得できない方は、参照ください。
ここではそのことについて、去年さんざんのべたことですし、ふれません。ここではなぜ日本では、またいつ頃からそうなったかについて考えてみます。

その前にこの一年をみてみると、お説のように A のないものが圧倒的に多くなりました。これは戦後では初めてです。画期的なことです。それは検索でしらべてもわかります。

これは正確には間違い(wrong)というよりは、奇妙(strange)ということでしょう。

「日本のかわいいごあいさつ 絵葉書」には、明治以降から昭和の初期までの年賀状がでていますが、そのなかで16ある happy new yearで、15はAがついていました。

まず考えなければならないのは、欧米には年賀状の習慣がないということです。あればそれがそのまま入ってきて、こういう事にならなかったと思います。

ただ当時でも、クリスマスカードで、Merry Christmas and a happy new year!というのは日本でもみられます。
年賀状の時はどうするか? クリスマスは終わったし、前半の部分をちょん切ればよいのでは、と考え  a happy new yearとしたのではないかと推測します。
これがそもそもの間違いで、and aまでを省略しなければいけません。この理屈は省略します。

以下の抜粋をご覧ください。



<最近、「A Happy New Year」の「A」はいらないのでは?間違いではないのですか?等々質問がくることが多くなってきています。


結論から言うと、少なくとも日本人に出す年賀状の文面としては決して間違いだったり失礼だったりと言う事ではないと思っています。
たしかに英語圏の人が新年に会った時の話し言葉としては「Happy New Year!」が自然なようです。 では「A」を付けた場合どういう意味になるかと言うと、文面 としてみれば「よいお年を!」的なニュアンスになるようです。
年賀状を書く時は年内に書く事が多いですから「良い年でありますように」と相手を思う気持で書くのは自然なことで、(I wish you)a Happy New Yearと考えればおかしくはないのかな?と思います。



追記

その後、この件について某カトリック系学校の英語教師の協力を得て調べてみました

日本人英語教師や学生の間では随分と盛り上がった議論が出たらしいのですが、意外にも学内に何人かいるネイティヴ(アメリカ人)教師(英語教員とは限らず)に年賀状を言うものを説明した上で聞いてみると「カードに『A』が入っていようがいまいが全く問題ない、それが一体どうかしたのか?」的な反応で、問題にする事自体理解できない様子だったらしく、しかも全員がほぼ同じ反応で、むしろネイティヴ度が強い(日本慣れしてない)人ほど「どっちでもいい」といった答えだったそうです。
と言う訳でそこだけの話しで全てを判断は出来ないと思いますが、この件で考え込むのはどうも日本人だけなのではなかろうか?といった気がしてきました。
上記で「・・少なくとも日本人に出す〜」と書きましたが訂正致します。「A」があってもなくても、誰に出しても全く問題なし。ということで当社の見解といたします。
調査にご協力いただいたS女子学院 Ms.Mさま、ありがとうございました。>

これは某印刷会社からの無断抜粋です。特にここがどうといったことでなく、一般にこう考える日本人もかなりいる、ということで、その代表例として引用させていただきました。

先ず前半部分、「年内に書くことが多いから、よいお年を!でもいいのではないか」。

冗談ではありません。これは日本の歴史や文化を理解してない考え方です。明治のころ、年賀状はみんな新年に書いたのです。それがある時期から、元日に届くから事前に書いたほうがよかろう、となったわけで、いつ書こうが、新年の言葉として書かねばなりません。

後半の部分、「ネイティブの多くは、こんなことはどうでもいいと考える」。

これも外国人は日本の文化や歴史をしらないからです。印刷屋だからAがあるのないのとわずらわしい、考えるのは、割り引いて考えるにしても、彼らはこんなことより、もっと大事なことがある。ということでしょう。
これは英語を勉強している人たちにとってはそのとおりです。しかしわれわれは英語学習者ではありません。日本人には重要な問題です。
ネイティブは英語をよくしってるとは限りません。かれらは本国でどう使われてるかをしってるだけです。文法をしらない人はいっぱいいます。
長くなるので、このへんでやめますが、納得のいかない点、不明な点、ご指摘をいただければお答えします。

http://iya-

 

Re: 「事業仕分」について

 投稿者:西田達也  投稿日:2009年11月29日(日)23時34分46秒
返信・引用
  > No.4883[元記事へ]

>
> ノーベル賞について言えば、物理賞、化学賞と平和賞は同じカテゴリーとしては語れない。
>




ええ。 ノーベル賞の中でも平和賞だけやめてしまえ、という人もいますね。確かにこれでもってノーベル賞全体は語れないかもしれません。

http://iya-

 

Re: 今夜の内藤、亀田戦

 投稿者:西田達也  投稿日:2009年11月29日(日)23時30分25秒
返信・引用
  > No.4882[元記事へ]

> 内藤に勝ってほしいが、ずばり亀田の勝ち。一番の原因は年齢差とみる。この年齢差はあらゆる材料に優先する。
>
>  これははっきり結果がでるのでつらいところ。はずせばしばらく謹慎します。


そのとおりの結果になった。「年齢差」、大雑把にみればそういうことだが、もう少しこまかくみてみる。

わたしは若いころジムに通い、ボクシングの経験があるが、始めたのが26歳のころ。これで選手ムリと考え、トレーナーの資格をとりボクシングと係わったことがある。その経験から言うと,今夜のように一方がサウスポー、一方が普通の右利きというのは、おたがいにやりぬくい。
 どっちかと言えば、サウスポーのほうが有利。右と多く対戦してるからだ。
両者ともジャブが極端に少なく、お互いにいきなり利き腕をあてにいこうとする。結果、亀田のがよくヒットしていたのに対し、内藤のは空をきるのが多かった。
試合後、内藤の顔はボコボコ。亀田はそれほどでもなかったのが、これがをよく物語っている。
私の経験では右利きから(自分がそうだが)左利きを見ると、相手の左半分がガラあきのようにみえる。
シメタと右を打ちにいくと、これがさっぱりあたらない。
亀田は練習でそのあたりをよく研究したのだろう。トレーナーの勝利とみる。

内藤が勝てたとするなら、(これは結果をみてのコメントだが)、彼のほうがリーチで勝るから、足をつかい、左ジャブを多用。徹底したアウトボクシングをし、たえず一定の距離を保つ。
動きは相手の右、右。(時計回り)ということになる。これで最後まで足が動けば、僅少差で勝つか、悪くても引き分けになったはずである。

http://iya-

 

Re: 「事業仕分」について

 投稿者:トクさん  投稿日:2009年11月29日(日)23時06分46秒
返信・引用
  > No.4885[元記事へ]

そう、今回のオバマ授賞のようにね。
自分の記憶にある範囲でいえば、佐藤、ワレサ、ダライ・
ラマ、……。政治的意図を感じざるをえません。

少なくとも佐藤さんのときは、たとえば去年の益川さんのと
きのように、国内でこぞって祝福というムードではなかった。


> > ノーベル賞について言えば、物理賞、化学賞と平和賞は同じカテゴリーとしては語れない。
> >
>
> ええ。 ノーベル賞の中でも平和賞だけやめてしまえ、という人もいますね。確かにこれでもってノーベル賞全体は語れないかもしれません。
 

Re: 「事業仕分」について

 投稿者:西田達也  投稿日:2009年11月29日(日)22時45分16秒
返信・引用
  > No.4883[元記事へ]

> ノーベル賞について言えば、物理賞、化学賞と平和賞は同じカテゴリーとしては語れない。
>

ええ。 ノーベル賞の中でも平和賞だけやめてしまえ、という人もいますね。確かにこれでもってノーベル賞全体は語れないかもしれません。

http://iya-

 

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